!!79'FXEFショベルとSR400の2台のポンコツとの生活。!!
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今日通勤の帰りに、SRのメーターが13,000kmを指示したとき、自分の2輪での通算走行距離が150,000kmになりました。
思えば今年は2輪免許を取得してちょうど10年目の年になっていました。基本的にはトコトコのんびりアメリカンやシングルばっかり乗ってきましたが(実は4発以上は教習所以外ではほとんど乗っていない)、実は長年記憶にのこっているバイクがあります。
それは88'NSR250なのであります。学生当時2ストは比較的まだ多く、友人たちもNSRやRGB250γなどをのりまわすヤツラが多かったのですが、実は大学時代のいきつけの店はいわゆる街のちょっとしたワークスショップのようなお店で、旧中津江村のオートポリスでそのお店のライトチューンされた88'NSRにのせてもらう機会がありました。

参考写真:88'NSR ちょ~~はやかったですね。
2stの中排気量以上の2輪に乗ったのはこれが最初で最後。。。。。。。。。しかし、体ごともっていかれそうな加速は忘れがたい鮮烈な記憶となりました。88'NSRがなぜ早いのかは、ウィキペディアからの引用を後段に掲載しておきますが、いまでも基本的にはどんくさいショベルのFXでとことこやってますが、いつかはまた乗ってみたいマシンということで88'NSRは自分の記憶のなかに残っているのでした。
(余談ですが、ショベルが遅い遅いといってますが、実は2輪の世界最速記録はジソク515kmなのですが、実はこれ、なんとショベルヘッドエンジン2基がけ!!ショベルってのが意外ですよね。)
以下は88'NSR、MC18(2代目)についてのウィキペディアからの抜粋)
2代目のモデルは1987年11月に登場した。なお、この1988年モデルは市販レーサーのRS250と同時開発されており、NSRシリーズの中では最強モデルとして有名であった。外観こそ前年モデルのMC16とさほど変化がないように見えるが、実際にはほぼすべてのパーツが見直されたニューモデルと言ってもよい。このMC18は1988年モデルのいわゆる「'88NSR」と、1989年2月発売モデルの「'89NSR」の2種が存在する。それぞれ`88NSRでは紅白の通称”赤テラ”正確には当時のHRCカラーと青白の通称”テラカラー”が存在する。`89ではさらに黒地に銀の通称”シードカラー”が追加された。`88NSRが最強のNSRと言われる由縁は、自主規制を無視した制御コンピュータを採用した事に原因がある。通常の使い方では、最大出力45PSであったが、加速時における制御(過渡特性)では、別の点火制御が働く様に設計されていた。その際の最大出力は、約60PS出ていたとされる。ライバル車輌を解析したヤマハやスズキからレギュレーション違反とのクレームが付いた為、'89NSRは、規制に合わせた出力特性に変更された。マイルドな出力特性とは、苦し紛れの言い訳に過ぎない。
「'89NSR」では、エンジンの出力特性を制御するコンピューターがPGM-IIに、キャブレターがPGMキャブレターII等へ進化し、最高出力は45psと「'88NSR」とは変わらないものの、'88NSRよりも幾分マイルドな出力特性(台形パワー)を与えられていた。このためNSR最強モデルとは「'88NSR」を指していうのが一般的である。
また、MC18型からSP(スポーツ・プロダクション)モデルが限定リリースされた。「'88NSR」SPは、オートバイ世界グランプリ(以下WGP)500ccクラスで活躍するワークスレーサーNSR500と同じ"ロスマンズカラー"の外装とマグネシウムホイールが、「'89NSR」SPは、WGP250ccクラスで活躍した清水選手の"味の素テラカラー"(通称”銀テラ”)の外装が施され、乾式クラッチ、マグネシウムホイールという装備を与えられた。
蛇足ではあるが、MC18には"SPグレード"とは別に、コンペティションモデルとして限られた台数のみ生産されたまったく別物と言って良い "NSR250RK"が存在する。この車両はNSR-SPをベースに、専用の補強入りフレームや専用の車高調整付きサスペンション、ほぼ専用といって よいほどに変更が加えられたエンジンや電装を装備したTT-F3専用車両である。エンジン部品で専用なのはクランクケースのみだが、ほぼ すべての部品が同年式のRS250の部品を加工し流用したものであり、その動力性能はRS250に匹敵するほどである。そうして世に送り出された RK達がサーキットを席巻し、GP250と互角のタイムを叩き出し、4ストローク400ccの車両を打ちのめしづつけたことは記憶に新しい。 なお、この車両はスリックタイヤ対応のためホイールサイズもRS250と同等に変更されている。また、現代のラム加給の走りともいえる、専用 キャブレターボックスと専用ダクトを装備し、PGMキャブレターは装備されてない。
思えば今年は2輪免許を取得してちょうど10年目の年になっていました。基本的にはトコトコのんびりアメリカンやシングルばっかり乗ってきましたが(実は4発以上は教習所以外ではほとんど乗っていない)、実は長年記憶にのこっているバイクがあります。
それは88'NSR250なのであります。学生当時2ストは比較的まだ多く、友人たちもNSRやRGB250γなどをのりまわすヤツラが多かったのですが、実は大学時代のいきつけの店はいわゆる街のちょっとしたワークスショップのようなお店で、旧中津江村のオートポリスでそのお店のライトチューンされた88'NSRにのせてもらう機会がありました。

参考写真:88'NSR ちょ~~はやかったですね。
2stの中排気量以上の2輪に乗ったのはこれが最初で最後。。。。。。。。。しかし、体ごともっていかれそうな加速は忘れがたい鮮烈な記憶となりました。88'NSRがなぜ早いのかは、ウィキペディアからの引用を後段に掲載しておきますが、いまでも基本的にはどんくさいショベルのFXでとことこやってますが、いつかはまた乗ってみたいマシンということで88'NSRは自分の記憶のなかに残っているのでした。
(余談ですが、ショベルが遅い遅いといってますが、実は2輪の世界最速記録はジソク515kmなのですが、実はこれ、なんとショベルヘッドエンジン2基がけ!!ショベルってのが意外ですよね。)
以下は88'NSR、MC18(2代目)についてのウィキペディアからの抜粋)
2代目のモデルは1987年11月に登場した。なお、この1988年モデルは市販レーサーのRS250と同時開発されており、NSRシリーズの中では最強モデルとして有名であった。外観こそ前年モデルのMC16とさほど変化がないように見えるが、実際にはほぼすべてのパーツが見直されたニューモデルと言ってもよい。このMC18は1988年モデルのいわゆる「'88NSR」と、1989年2月発売モデルの「'89NSR」の2種が存在する。それぞれ`88NSRでは紅白の通称”赤テラ”正確には当時のHRCカラーと青白の通称”テラカラー”が存在する。`89ではさらに黒地に銀の通称”シードカラー”が追加された。`88NSRが最強のNSRと言われる由縁は、自主規制を無視した制御コンピュータを採用した事に原因がある。通常の使い方では、最大出力45PSであったが、加速時における制御(過渡特性)では、別の点火制御が働く様に設計されていた。その際の最大出力は、約60PS出ていたとされる。ライバル車輌を解析したヤマハやスズキからレギュレーション違反とのクレームが付いた為、'89NSRは、規制に合わせた出力特性に変更された。マイルドな出力特性とは、苦し紛れの言い訳に過ぎない。
「'89NSR」では、エンジンの出力特性を制御するコンピューターがPGM-IIに、キャブレターがPGMキャブレターII等へ進化し、最高出力は45psと「'88NSR」とは変わらないものの、'88NSRよりも幾分マイルドな出力特性(台形パワー)を与えられていた。このためNSR最強モデルとは「'88NSR」を指していうのが一般的である。
また、MC18型からSP(スポーツ・プロダクション)モデルが限定リリースされた。「'88NSR」SPは、オートバイ世界グランプリ(以下WGP)500ccクラスで活躍するワークスレーサーNSR500と同じ"ロスマンズカラー"の外装とマグネシウムホイールが、「'89NSR」SPは、WGP250ccクラスで活躍した清水選手の"味の素テラカラー"(通称”銀テラ”)の外装が施され、乾式クラッチ、マグネシウムホイールという装備を与えられた。
蛇足ではあるが、MC18には"SPグレード"とは別に、コンペティションモデルとして限られた台数のみ生産されたまったく別物と言って良い "NSR250RK"が存在する。この車両はNSR-SPをベースに、専用の補強入りフレームや専用の車高調整付きサスペンション、ほぼ専用といって よいほどに変更が加えられたエンジンや電装を装備したTT-F3専用車両である。エンジン部品で専用なのはクランクケースのみだが、ほぼ すべての部品が同年式のRS250の部品を加工し流用したものであり、その動力性能はRS250に匹敵するほどである。そうして世に送り出された RK達がサーキットを席巻し、GP250と互角のタイムを叩き出し、4ストローク400ccの車両を打ちのめしづつけたことは記憶に新しい。 なお、この車両はスリックタイヤ対応のためホイールサイズもRS250と同等に変更されている。また、現代のラム加給の走りともいえる、専用 キャブレターボックスと専用ダクトを装備し、PGMキャブレターは装備されてない。
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いきなり1%と題してみましたが、タイトルからして訳わからんと思いますが。ハーレーにまつわる話です。
Harley Davidsonには過去に低迷の時代がありました。70年代だったかぐらいAMFの時代に日本車等におされ、またバイクのもつアウトローなイメージによりアメリカのバイク業界そのものが伸び悩んだ時期にハーレーの社長がこう言った訳です、「バイクはアウトローなイメージがあるが、ホントにアウトローで悪いヤツラは全体の1%のアホ達だ」と。
と、まあこれに反発するバイカーたちが山ほど出てきて「我こそがその1%だ!」とこぞって1%と書いたステッカーや刺繍なんかをするようになったと言うハナシで、いまでは1%にはバイカーの誇りだとか、そんな意味がこめられているというお話でした。

先日ごいっしょしたジパング方達のジャケットにもこの1%の刺繍がありました、実際は紳士的なかたばかりですが。(余談ですがZipangu M/Cは正式にはジパングモーターサイクルシンジケートだったかな?シンジーケートとついててメッチャ怖そうですがw)
バイクが反社会的なイメージとか言うのは、映画なんかによく表現されてますよね。
スティーブ・マックイーンだとかピーター・フォンダ、マーロン・ブランドなどなど。映画「ワイルド・ワン」なんかは、アメリカでバイカーがアウトローの烙印を押された実際の事件を映画化したものですし、現代日本でもイメージは良いほうとは言えませんよね。
ちなみに上写真はピーターフォンダ。映画「イージー・ライダー」でもキャプテン・アメリカ役として有名ですね。(映画の内容はイマイチ分かりにくいw)
Harley Davidsonには過去に低迷の時代がありました。70年代だったかぐらいAMFの時代に日本車等におされ、またバイクのもつアウトローなイメージによりアメリカのバイク業界そのものが伸び悩んだ時期にハーレーの社長がこう言った訳です、「バイクはアウトローなイメージがあるが、ホントにアウトローで悪いヤツラは全体の1%のアホ達だ」と。
と、まあこれに反発するバイカーたちが山ほど出てきて「我こそがその1%だ!」とこぞって1%と書いたステッカーや刺繍なんかをするようになったと言うハナシで、いまでは1%にはバイカーの誇りだとか、そんな意味がこめられているというお話でした。

先日ごいっしょしたジパング方達のジャケットにもこの1%の刺繍がありました、実際は紳士的なかたばかりですが。(余談ですがZipangu M/Cは正式にはジパングモーターサイクルシンジケートだったかな?シンジーケートとついててメッチャ怖そうですがw)
バイクが反社会的なイメージとか言うのは、映画なんかによく表現されてますよね。
スティーブ・マックイーンだとかピーター・フォンダ、マーロン・ブランドなどなど。映画「ワイルド・ワン」なんかは、アメリカでバイカーがアウトローの烙印を押された実際の事件を映画化したものですし、現代日本でもイメージは良いほうとは言えませんよね。
ちなみに上写真はピーターフォンダ。映画「イージー・ライダー」でもキャプテン・アメリカ役として有名ですね。(映画の内容はイマイチ分かりにくいw)